それは内宇宙からやってきた。

感謝します。失読な僕に言葉をくれた、あなたに。

本当は何も読めちゃいないのです

日常で誰にも話したことはないのだけれど、どうも僕はディスレクシアのようなのです。読むのも書くのも下手です。アカウントに僕の誕生日0926を書いたつもりが0925になる始末であります。

世間の方々に比べれば軽いほうなのかもしれません。完全に読めないわけではなく、集中すれば読める場合が多いからです。ただ風景としての文字は全く認知していません。
さらに言えば、僕は文字が二重にずれて見えているらしいのです。漢字も書けば左右逆転し、アルファベットは反転しがちです。
僕は人よりも読むのも書くのも遅く不正確です。この有様で読書を生き甲斐にしてしまっています。本にこそ希望があると思い込んでいます。
それは僕が大好きな人たちが本の虫だから、本を読めば距離が縮まると思えるから。
僕にとって読書は、ある意味カーゴカルト的な儀式なのです。
内容や実際性よりも、行為に意味を感じています。

読書は好きですが、苦痛でもあります。
読めていないことが分かっているから読めていてほしいと多大な時間を費やしてしまいます。
徒労に邁進することに不安を感じないわけがありません。
しかし無駄だとわかっていながらも読むのをやめてはいけない気がするのです。
読める本と読めない本もあります。読みたい本が読める本とは限りません。
読めない好きな本は何度でも立ち向かいますが結局は徒労に終わり、遠い存在になります。
自分が劣悪な読者と実感するほど本に関して閉口し、更に本を求めてしまいます。

僕は永遠に優良な読者にはなれないでしょう。素晴らしい読解を成される方々の前から逃げ出すでしょう。
それでも本をやめないのは孤独だからなのでしょう。
孤独の持久力という点では、本が一番頑丈らしいのですから。

感謝します。本の読めない僕に読める本を書いてくれたあなたに。

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

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